説法 | 創連山
現世なる起立なるは 位相なる再現であり 多を蓮する一なるを 慈悲と理(ことわり)を現す ... 。この個なるは 体なる一を この世の和とする花であり 見つめる瞳に禾なるが宿る ... 。この一なるは 単を個する少女の輪であり 清く自らを捧げる永遠なる共を御(おん)とする慈悲でございます ... 。
現世連山なるは ただ一つなる起立をすべてと捧げる魂なのであり そのためなる眠(みん)なのであり 位相する蓮を次元と定めまする ... 。すべてなるで夢を見るのであり すべてなるで生を聖するのであり そのただ一つのために すべてを捧げることが現世と言われる所以でございます ... 。
このわたくし共は この起立する位相にあります ... 。
無限からなる現世のすべてから支えられているこのわたくし達の位相次元なのであり ただ一つなる起立でございます ... この無限の現世なるは横たわり 眠するを宗とし ただ一つの起立へすべてを捧げる連山でございます ... 。
喜びなるは 共を友いたします ... 。
嬉しくあり 泣きたくあり 笑いたくあり ... この蓮を一途に見守る幼い少女なるは 清らきであり 優しきであり 再び巡り会えることを夢見て 今のこのわたくし共を友と見つめておられます ... この御仏(みほとけ)なるが「蓮若阿弥陀如来」なのであり 慈悲を玖元(くげん)とする融和なるを御平和致されておられます ... 。
苦労と努力は報われまする ... 。
蓮若阿弥陀如来を名乗れる少女となりえて現世を見つめる聖なるは 命を敬い尊ぶわが子を蓮するのであり 幼き瞳に清られた透明の透く空気なるは この世の迷いを消し あの世の戸惑いを消し 永遠に灯る命なるを敬われます ... わたし達は この阿弥陀如来様と蓮若するのであり 久しき遠い鐘の音さえ 間近であり 身近であり 一時も離れぬ瞳に このわたくし共は生きております ... 。
花なるをお讃え申し上げます
時はまだ浅く
今はまだ遠く
この迷いなるは時の花なのであり
蓮若
慈悲なるは尊きものでございます
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